" &image=ctgic; &style=stDetail1;2006/04/14 読み物&style;&br; &style=stDetail2;コルセアについて&style;&br; &br; &li=ng01;Do or Die&li;&br; &image=im00;&image=383_5.png; 「漆黒の柩」とはよく言ったもんだ。&br;たった一隻で、海戦は船の数と規模で勝敗が決するという、我が提督の定説も、たった一戦で、最新鋭の兵器を備えた無敵の艦隊という、我が海軍の自負も、海の底に沈めちまいやがったんだ。&br;確かに、あの船は棺桶だった。……俺たちのな。&br;〔アラパゴ海戦に参加した、皇国海軍水兵の手記より〕&image=im00;&br; 200年ほど前、近東にはイフラマド王国という海運国家が栄えていた。しかし、海の支配権を巡って、しばしば王国と対立していたアトルガン皇国は、マムージャ蕃国と手を組み、王国軍の虚をついて侵攻を開始。わずか8日で王都を陥落させてしまった。いわゆる八日戦争である。&br;&br;当時、留学先のバストゥークから帰国の途にあったルザフ王子は、洋上で王の訃報を受けると、アラパゴ諸島に進路を変更し、そこに臨時政府を設立。王国艦隊の残存艦を糾合し、アトルガン皇国軍に対して熾烈な海のゲリラ戦を開始した。コルセア(私掠海賊)の誕生である。ルザフは、優美で知られた乗船「エボニークィーン号」を戦闘用に改装。名を「ブラックコフィン(漆黒の柩)号」と改め、自らもコルセア船長として活躍したと云う。 &br;&br;神出鬼没のコルセアに対して、当初皇国海軍は敗退を重ね、制海権すら失いかけたほどであった。しかし、皇国軍がコルセアの秘密母港を突き止めると、形勢は逆転した。一計を案じて、港にコルセアを集結させ、そこで一網打尽に壊滅させることに成功したのだ。洋上に出ていたため、ただ1隻残ったブラックコフィン号も、やがて皇国海軍に包囲されて勇戦むなしくルザフと共に海に没したことが報じられた。 &br;&br;だが、それでもコルセアの火は消えなかった。ルザフの死を信じないコルセアの残党は、その後も小さなグループに分かれて、連綿と活動を続けたのだ。そして、現在も誇り高き海賊の末裔として、皇国軍と戦っているのである。&image=im00;&br; "